バビロン

バビロンはメソポタミアの南部の古代都市です。アッカド語でバビリム(神の門)に由来して守護神をマルドゥクとしいています。バビロンは空中庭園でも有名です。バビロンの歴史と不思議に迫ってみましょう。

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バビロンの歴史

バビロンの記録は紀元前3000年末にアムル人がバビロン王朝を設立して、第6代王ハンムラビがメソポタミアを統一したとされています。カッシート、アッシリア帝国お支配下を経て、紀元前600年代には新バビロン王国の時代を向かえます。バビロンの首都となる場所にはイシュタル門や、謎の多い空中庭園が建てられ、大都市として繁栄していました。その後バビロンはペルシャ帝国により攻められ、ペルシャの都市となりましたが、何度も大きな洪水などに都市は破壊され大都市の姿は面影をなくしてしまいました。

バビロン空中庭園

何故空中庭園を造ったか

バビロンの空中庭園は縦と横が125メートルの基壇にあり、5段の階段式にテラスがあるピラミットの形の建物です。バビロンの空中庭園は高さが105ナートルもあるといわれています。空中庭園のテラスにはいろいろな植物が植えられていて、観葉植物だけではなく、野菜やハーブなども植えられていました。バビロンの空中庭園を作るきっかけになったのは、王妃アミティスがバビロンの砂漠の気候になかなか慣れることができなかったので故郷に似せて作ってとされています。

何故空中庭園と呼ばれたか

バビロンの空中庭園は本当に空中にあったわけではありません。遠くから見たときに大きいためにまるで空から吊っているように見えたため、空中庭園と呼ばれるようになりました。この空中庭園は架空庭園や吊庭ともいわれていました。バビロンの空中庭園は訪れる者を驚かせるほどのすばらしい庭園でした。

空中庭園の謎

バビロンの空中庭園には謎があります。空中庭園といわれるのですから高さがあります。植物なども植えているのですから水が必要です。どのようにして一番上まで水を運んだのでしょう? 近くにあるユーフラテス川の水を使っていたと考えられますが、吸水の仕組みが詳しくわかっていません。考えられる説としては大型の水車を各テラスに作り水を上まで運んでいたのではといわれています。バビロンの空中庭園はペルシャ軍によって破壊され今はそのすばらしい庭園をみることは残念ながらできません。

バビロン捕囚

バビロン捕囚とは新バビロン王国のネブガドネザル王によってユダ王国の人々がバビロンに連れ去られ移住させられて事件のことをいいます。紀元前597年にネブガドネザル王はエルサレムに侵入し、若いユダヤ人ユダヤ人の王エホヤキムとともになき者にし、約3000人を捕虜としてバビロンに連れ帰りました。

バビロニア文化とユダヤ人

すぐに国へ帰れるというユダヤ人の希望はなかなか叶わず、長きに渡ってバビロンに移住することになったユダヤ人はバビロンの文化を強く影響を受けました。100年〜200年の間には、捕囚民の中でバビロン風の名前を持つ者が増えてきました。文字の文化にも大きな影響を受け、古代ヘブル文字に変わりアラム文字が使用されるようになり、文学もバビロニアの影響があります。

バビロニア捕囚の終わり

新バビロン王国がペルシャ攻められ紀元前537年に、ペルシャの王キュロスによって、ユダヤ人は開放され、自分たちの国に帰ることを許されました。そのときに戻ったユダヤ人は42462人ですが、開放せれたのにもかかわらずかなりの数のユダヤ人はバビロンに残ること選択したものもいました。何故国に戻らなかったのかというと長い間、捕囚民としてバビロンに住み、生まれ育ったものもいるので、見たこともない故郷に帰る決心のつかないことはわかります。

バビロン関連作品

バビロン黄金伝説

漫画家のモンキー・パンチさん原作の人気アニメ「ルパン三世」の劇場版第三作です。1985年に銀幕に登場しバビロンの黄金をめぐるルパンとニューヨークマフィアのボス、マルチアーニとの争奪戦を描いた作品です。

バビロンの大富豪

幻の名著、ベストセラー作品です。古代都市バビロンを舞台とした話です。富とは、手に入れるために法則を理解して、それを実行すればいくらでも手にすることが出来るものです。現代における富の支配法則とは、バビロンの街に裕福な人々たくさんいた数千年前の法則と同じものであるというような内容です。

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